居合とは剣道の立会いに対する居合うの意にして、元来敵の不意の襲撃に際し、直ちにこれに応じ、先又は後の先の鞘離れの一刀を以って電光石火の勝ちを制する必要により、剣道の一分派として武士の間に創案された刀法であり、座位又は歩行中その他あらゆる場所やシチュエーションにおける正しき刀法と身体の運用を錬磨し「己が心を治める道である」と云われるものです。

居合とは、人に斬られず、人斬らず、己を責めて平らかの道
居合とは、心に勝つが居合なり、人に逆らふはひがたなと知れ

― 古歌より ―

私たちが所属する団体は、全日本居合道連盟です。

全日本居合道連盟は、昭和29年5月4日に日本で最初に創設された、居合道専門団体であり、日本最大の居合道の連盟であり・総本山であります。

所属する流派も、関口流・新陰流・無外流・神伝流・伯耆流・無想神伝流・神道無念流、荒木無人斎流・無雙直伝英信流、などが有ります。

又組織は、各都道府県の支部を始めとして、「九州・四国・中国・近畿・中部・東海・関東・北陸・東北・北海道、」と日本全土に10地区の地区連盟があり、各地区に於いて初段から五段迄の段位審査が行われ、六段以上の高段者の審査は全日本居合道連盟・本部審査として年2回(京都・大阪・浜松など)全国大会の折に行われます。

【連盟の特質】
「我が連盟は古来より伝承の古武道たる居合道の各流派を正しく後世に伝承せんが為、武士道精神に則り創立された、日本唯一最高の居合道専門団体であり、誇りある連盟である」

居合道の精神と其の目的

居合いは元来攻防の術を得る事に始まったが、今日に於いての修行の目的は、定められた武技を通じて、剛健なる身体を鍛錬し、己が精神の錬磨を為す事にあり。

極言すれば其の根元とする所は所謂る、武徳修養の一点に帰す。 即ち礼譲慈愛に富む質実剛健の精神を養い一死奉公の誠の心を鍛錬し、以て個々の明徳を明らかにする処世の要道に他ならぬものである。つまりは武士道の根幹となるものである。

居合道の沿革

足利時代の末期(永禄の頃)奥州の住人 林崎甚助源重信という士が山形県楯岡在の林崎大明神に祈願し、抜刀の精妙を得て林崎夢想流(又は林崎夢想神伝流・無雙神伝重信流とも)ととなえ、この林崎先生を居合の始祖と仰ぐ。
流祖神伝以来、代々其の道を伝へ且つ幾多の分流を生み名手を輩出せしが、殊に正統第七代長谷川主税助英信先生は其の技古今に冠絶し、精妙神技を以て始祖以来の達人として聞こえ、古伝の業に独創の技を加え、これに流名を無雙直伝英信流と改め、爾来当流を略称して長谷川英信流又は長谷川流或いは英信流と呼ぶに至れり。

近世の名人中山博道先生は大正年間土佐の国に出向かれて、当流の正統谷村派と傍系下村派を研究されて、所謂る中山流とも称された独特の技法を編成され、当流正座の部を大森流と呼び、立膝の部を長谷川流と呼びて新技法を広く其の門下に教示された。
因みに中山博道先生は昭和九年頃から其の自流を無想神伝抜刀術、又は無想神伝流と唱えていた。

結語

居合の極意とする処は常に鞘の中に勝を含み刀を抜かずして天地万物と和する処にあり。
換言すれば「武徳の修養であるが、形により、心に入り、業によりて養ふ」との古人の教えの如く、居合は日本の精神の象徴であり肇国の大精神を宿す霊器日本刀の威徳に依りて、正しき刀法と身体の運用を極めて、心剣一如、動静一貫の妙所を悟り而して業の末節に捉われる事無く、常に武道の本義とする大和の精神を忘れず、刀に対しては最も敬まう心を以てあたり、終生不退の錬磨により神武の位を得るに努め、而して日夜夫々与えられたる自己の天職に尽くす事は、これ即ち武徳を発揮する所以にして、実に武道の真髄と信ずるものである。

同好の士よ、斬道は「終生全霊傾注の心術」なる事を深く心に期し、其の練成されるに及びては、技の末を追わずその元を求め、技の精妙を競うよりは心の円満ならん事を努め技に依りて己が心を治め以て心の円成を期するべきなり。

― 第21代宗家、福井聖山虎雄先生著書より抜粋参照 ―